Series: 豆知識&やり方 神様と雑談 神さまのことば 作品について 不思議レポート 不思議な夜の話 不思議な光の話 不思議と徒然 ヒーリングと徒然 エネルギーの物語
Year: 2018 2017 2016

普通に暮らすことの尊さ

これから、世界の混迷が
深みを増していくにつれて
どう生きればよいのか
どう生活すればよいのか
迷うことがあるかもしれません

普通とは
あなたにとっての「普通」ということです

まよったら
「普通にくらす」ことに
戻られてください

あるいは
普通にくらすことを
基準にしてください

幸せとか
不幸せとか
才能とか
富とか
波のまにまに
あらわれることに
目線をあわせないで

(幻想に似ているのです、
そうしたことは)

ただ、日常を
あなたが
暮らすことを
大切にされてください

混迷期は
おおくのことが
破綻したり
もりあがったりします

混迷混沌の
この時の波を、
もとめ、もまれるより

「あなた」が
あなたにとって
大切にしたいことを
大切にして
ただ、ふつうに
暮らすこと
きちんと生活をすることが
とてもよい結果をうむでしょう

2018-10-09 17:32:40

ひと、ではなくて、

人を観るとき
ひとを、そのひとの所為とせず
ひとと周り(あるいはとりまくもの)を
「今」と観るとよいです

責任を求める人は
責任を個人的なものだと
誤認されがちですが

責任はどの場合も
わりあい個人的なものではなくて
全容としたものです

網羅する要素を
みることはできなくても
事毎にしては、
責任や派生どころに
こころはむくものですが
それよりも
全容に目を観るのがよいです
(そうすると、わりあい
分かることが多いです)

「責める心」は
欲にすぎません

……

神様の視点は
全容のしてんです
愛という方もいます
(言葉にすぎない愛ではなくて)

責める心(欲求)を持ち続ける限り
問われるのは自前です
問われていること
問われ続けてきたことに
気がつくと
たぶん、その欲求と向き合えるとおもいます

……

エネルギー

末世のみだれで
ひとのこころもみだれ

自我にはいま
だれもが透き通りではなく
濁りをもっています

我欲が善性のふりをしたり
善性が欲性のふりをしたりします

……

一つ記しますが
正義のふりをした
我欲はおおいのです
懲らしめてやる、という気持ちは
捨てた方がよいです、無駄ですし
自分のことは自分にしかできません

誰かもそうですし
自分もそうです

ほんらいの正義に敵はいません
敵をこらしめるのは
敵意です

己の弱さをこえようとするとき
あらわれるのが勇気です
ひとのことを悪や敵にみつめるとき
あらわれるのは弱さです

……

しかし
怒りを
悪意に怒る、怒りを
なじる神はおりません

うらみも、かなしみも
怒る神はおりません

つらいのは
おまえだから
てばなせと
はなれよと
願われているだけです

なくせ、とか
こえろ、とか
神々は思われません

人の痛みを知るかたがたに
そんな態度は
とれないものです

ですから、
そうした
怒りを「よくないこと」とする人心も
ほんとうなら
ひとつも、わいたりしません

……

知識ではなく
知恵の実を
うごかしてください

そこに理解という
知恵がともるとき
奇跡はおこりますから

人間が手にした知恵は
弱い力ではありません

……

悪意はほうむられていき
怒りになぐさめがふり
祝福とともに
救いはもたらされます

混迷のなか
世界自体の
エネルギーが
みたれがちになりますから
個人個人の、ちいさな生き物である
人間の、こころが
みだれたり
濁ったり、
間違えたりすることは
もう、しょうがないです

しかしどこかで
自分にもどりたいですね
「自分」の生きたい道を
間違えずに
いきていきたいですね
2018-10-07 12:11:33

愛に基づくことをしよう

たとえば
ほんとうの正義とか
真心とか
そうしたものも
慈しまれておりますが

天の意はただ
「愛を源に、愛に基づくことを」
それだけでした

わくわくすることをしよう、とか
好きなことをしよう、とか
天の真意を覆い隠すように
偽りの言葉は流されていました

「ワクワク」でも「好きなこと」でもなくて

天から願われていたことは
「愛のこと」でした

そんなふうに
天からの願いは
地につたわるとき
たくさんの歪みをうけ
シンプルな真意が
わかりづらく変形されていたりします

……

愛に基づくことを
されていますか?

ひとが
どれほどかんたんに
ほんとうの愛を
正義や、自我の歪みや
思い込みから
変形させてしまうのか

知っています……

知識は知恵ではないし
知のうえのことは
「そうではないこともある」が
かならず、隠されています

(ですから、
本当のことを知るものは
断言できないことと
ごくわずかな断言できることを
担ってしまうのです)

……

知っていること、
わかったことは
かならず、
何分の一の確率で
「限らない」といえます

それをわからないと
いつまでも、「同じ事を云う」
知の、罠のようなところを
歩くことになります

それは、「そうとは限らない」ことに
気がつかないと
でられない

「そうだという知の上」では
そうではない
「違うこと」や「違うひと」に
心がなくなるから、
愛がもらされないからです

「違うこと」、己の個人性にきづき
多様性へのしんあいが
その檻の鍵となります

……

天は
ただ、愛だけをみつめています
やがて受け取られるのは
個人の思いではなくて
そのひとの
命と、ともに輝く
「愛」です

ことばの愛ではありません
2018-10-01 11:15:42

圧倒と終焉

神様がおりられると
ようやく、
ゆがんだ宗教や
スピリチュアル界隈などで
云われてきた神様が
掌にあるような方々で
それで、神様というものが
どれほど巨大で
ひとのてにはいらないものなのか、が
わかるのだとおもう

悪意のがわの方々は
いまだに神様を、しらないので
たくさんのことを
しようとしたり
宣ったりしているけれど

思考で把握したり
かわしたり、できるものは
神様ではなくて
人サイズにあるもので

つまり、計画とか
あるいは、知識とかいうのは
なにがしかであっても
それは掌のサイズにすぎない

悪意の終焉は
かれらがたててきた計画や流れを
なにもかも無駄にしながら
おとずれる

……

歓迎したものは
歓迎をあたえられるという
スピリチュアルや
霊能者、ゆがんだ宗教者で
このときにおとずれたものたちを
「歓迎」を「できた」ひとは
わずかだった

かれらが最後に味わうのは
境遇の二極化で

真心か、魔心

ひとつは神様とともに歩み始め
ひとつはエゴ、ナルシシズム(欲)
あるいは、偽りの神もどきをしんじ
真なる神様への否認とともに
はしりはじめる

……

最後にあらわれる獣の姿は
そのものの目が決めるという

たとえば
ナルシシズムだとか
エゴイストだとか
「真なるもの」を見て
そう観たてたものたちには
そういう獣があらわれる

いつわり、まもの、
だまされ、
そう見立てたひとたちには
そういうものが……

……

真なるものたちに
無垢、あるいは
観音をみたひとは
最後にあらわれる獣が
無垢なる観音となるらしい

不思議なことだ


2018-09-26 13:32:33

目線

文章や、なにかをあらわすとき
誰かに観られること
誰かに、何かを思われることを
望んでいる「もの」はおおいし
望んでいるから、ひっぱられて
ほんとうの表現からはなれているものも多い

その時代が終わるようだ

これからは
誰かに、なにかを、おもわれること
いうなれば
「他人からの目線」への欲求が
わかなくなり
誰しもから、それが減っていくだろう

他人からもたらされるものは
大きいなぁと思うけれど
それをもとめるほど
欲っしても手に入らない
結局は地道な
自己研磨に
そうしたことが
与えられるんだと思う

エネルギーのはなし

求めるものは
自分のもつ器に
あたえられる

上辺ではだめで
自分の、
素体のちから(素のもの)を
たかめ、あげていくしかない

……

人間がもともとの人間体にもどっていく
「欲」……意識の上のかるいものから
苛立ちをわかせる重いものまで
「穢れ」からたちのぼっていたそれが
おわり、ついえていく

2018-09-13 14:32:19
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