「学び」は失われない

ただ「あてられてあらわれた自我」は
終焉がおとずれるとき
水を浴びるように
もともとの、己の正気に立ち戻る

「あてられ」
ほんのわずか、みんな
誰もが、あびていて
みんな、誰もが「あてられている」

世界の裏のラグナロク

いっさいがっさい
世界のなにもかもが
「あてられて」いるから
誰も疑問を抱けない

急に訪れる
「裏の終わり」は
急におとずれる
「目が覚めたような正気」に
なるかもしれない

でも
学びも、はぐくみも
失われたりしない